一回好きなもののことを書いたけれど、再び夫との離婚についてのことに戻ろうと思う。
私はいろんなことをけっこうすぐに忘れてしまう。
夫が出て行ってまだ1か月もたっていないし、浮気を告白されてまだ3か月しかたっていないのに、声を聞いてしまうと、自分が傷つけられたことも、子供たちが傷つけられたことも忘れて、習慣的に許してしまいそうになるのだ。
愛していたんだと思う。
誰が聞いてもひどくて、とんでもない男だけれど、好きだったから頑張ってきたんだと思う。
一緒に幸せになりたかった。
でもそれは、もう選ばない。私はもう、夫とは生きない。
そのためにも、離婚までに何があったのか、ちゃんと覚えておくために、書いていこうと思っている。
浮気を告白されたとき、自分でも驚くくらい、涙があふれて止まらなかった。
たぶん人生で一番泣いたし、何も食べられなくなった。
年末はいつも夫の実家で年を越すのだけれど、どうしても行けなかった。
子供たちには話していなかったし、大好きな祖父母の家でみんなでお正月を迎えることをとても楽しみにしていた娘は、何度も私を連れて行こうと粘ったし、泣いた。
私は人生で初めて、一人で泣きながら年を越した。
何日たっても涙はなくならなくて、朝起きればすぐに泣いた。
実家にいる夫とはラインや電話で何度も話した。
結婚して初めて、くらいの勢いで、思ってたことを全部話した。
精神を病んでいる夫を支えながら、でも子供たちにも無理をさせないように、家族みんなが幸せを感じられるように、私が20年、血反吐を吐くような思いで守ってきたんだ!って。
夫は、浮気をしていた1年間以外は、ずっと私を幸せにできていると思っていたようだったから、すごくすごくショックを受けていた。
私はあふれる思いをとめられなかった。
大事にしてたのに浮気した、んじゃない。
大事にできてなかったから、感謝もできてなかったから、だから浮気したんだよ!
って、自分の気持ちをぶつけた。
仕事のこともあって、一足早く夫だけが帰ってきたけれど、同じようにずっと泣いている夫が理解できなくて、腹が立って悲しくて、「お前が泣くな!」と怒鳴りつけたりもした。
もともとメンタルよわよわの夫は、そうやって責められることにひと月ももたなかった。
わけのわからない理屈ですねたり、私を責めたりし始めて、子供たちにも、いやな部分をこれでもかと見せてしまった。
娘は学校に行けなくなってしまったし、家の空気は本当に最悪だった。
どこかで思ってた。
私も、子供たちも、泣いたり痩せたり学校に行けなくなったり、ボロボロに傷ついているのを見て、自分にとって本当に大切なものは、私たちだって、気づくんじゃないかって。
でも、夫は離婚を撤回しなかった。
私には、そんなに相手の女を好きなんだとは思えなかった。
きっと、私にも、子供たちにも知られてしまった、言ってしまった、もう後に引けない。
相手の女にもいいことを言ってしまった。もう後に引けない。
それだけだったんじゃないかと思う。
夫は、ばかなのだ。
でも私も、離婚したくないとは、言わなかった。
本当にこれでいいの?とは何度も聞いた。
でも、私を選んで、とは、言わなかった。
自分で選んでほしかった。私に言われたから、と、また私のせいにはしてほしくなかった。
夫は選ばなかった。
この家族を選べなかった人とは、一緒にいてはいけない。
どんなに優しい声をかけられても、もう、それだけは間違いないことなのだ。
私はもう、夫とは生きない。
自分の力で生きて、子供たちと一緒に、幸せになるんだ。